温泉なごっちんみたいな
今日友達とお好み焼きを食べに行きました。
いきなり興味を惹かない一行で始めてみました。山田の日記です。
んでですねぇ、そのお好み焼き屋にはいっぱいメニューがあるわけですよ。
いっぱいあったら色々悩みますよね。
僕も散々悩んだ挙句、皆バラバラのやつ頼んで分け合って食べることにしました。
まあ、極々普通です。別に皆で同じの頼んだとかボケたところで何も面白くないですし。
色んな味楽しみたいものね。
そんでまぁ、普通に分け合って食べたわけですが、結局全部同じ味でした。
タレつけて、マヨネーズかけて、あおのりをたっぷりのせて食べてたんで。
タレとマヨネーズとあおのりの味しかしませんでした。
途中で全部同じ味だということには気づいてましたが、そのまま食べ続けました。
僕はタレとマヨネーズとあおのりの味が大好きなので、大満足でした。
ただ、頼む前に悩んだ時間は無駄だったんじゃないかと思いました。
しかしだ。無駄ってそんなわるいもんじゃないと思うんですよね。
人生ってのは、いかに無駄を楽しむかってのがとても大事なことだと思うんですよ。
どうですか?「いかに無駄を楽しむか」って。
これちゃんと書いたら結構いい話になるんじゃないかなぁと思います。
でも別に僕的にそんなちゃんと伝えたいなぁと思うほどのことでもないので、書かないですけど。
まぁ、適当に「無駄を楽しむ」ってことを考えてみたらいいですよ。
その考えてる時間も無駄かもしれないけども。
ちなみに注文を考えてる時は別に楽しくもなかったです。そんなもんです。
特に書きたいこともないで書いてるとこんな文章になります。そんなもんです。
あと全然関係ないんですけど、
「無駄について考える時間が無駄?」みたいに考えてて思い浮かんだことを一つ。
「絶対は絶対無い。」
これって矛盾してるよなぁって。
「絶対ってものは無い!」と強く言ってしまうということは、
「無い」ということを「絶対」だと言っているようなもんだから、
もうこの人は「絶対」を受け入れてしまってる感じを受けてしまいます。
仮に「絶対が無い」ということを言いたいのであれば、
「絶対は無いっぽいよ。」と言わなければいけないんじゃないかと。
しかしその言い方だとなんとも情けない。
「絶対」ってあるんじゃねぇの?と思ってしまいます。
まぁ、そんな感じで僕は「絶対」はあると思ってます。
りしゃこは絶対妖精だもの。
これも真剣に考えればもっと違う考えができそうですけど、
メンドウクサイんで適当に考えたところでやめます。
もう今日はダメです。疲れました。無駄な日記でした。